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プロフィール

​代表ごあいさつ

中牟田 郁
Kaoru Nakamuta

看護師歴 20年
​アロマテラピー歴 30年

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​Profile

キャンドルと植物

​​【ライセンス】

 

♢看護師

♢メディカルアロマアドバイザー

♢メディカルハーブアドバイザー

♢エディブルフラワーコーディネーター

ハンドケアセラピスト

ハンドストーンセラピスト

バリニーズトリートメント・ディプロマ

♢バリニーズホットストーン・ディプロマ

アクセスバーズプラクティショナー

​他​

【略歴】​

島根県生まれ​

東京都育ち

​静岡県在住

 

 

♢大学病院やクリニックにおける臨床看護及び、大学内保健室にて、学生、教職員の健康管理、救急対応、メンタルヘルス相談業務等に従事。

♢派遣看護師期間に述べ1000件以上の臨床現場、救護イベント、企業内業務などの現場に従事。

​♢2000年〜2020年まで日本統合医療学会、日本アロマ環境協会、日本アロマテラピー学会、日本メディカルハーブ協会などに所属(現在退会)

♢伊豆へ移住後、2019年よりメディカルアロマサロン「エスティア・リラ」主宰。​​

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Philosophy

​五感を大切に扱う

一人ひとりに与えられた、かけがえのない生命のエネルギーが満ちていき、
限りある時間が穏やかな感情で満たされ、人生のなかに笑顔が増えていく——。
そんな日々をともに創っていくサポートができたら、という願いが、エスティア・リラ設立の原点です。

エスティア・リラの根幹には、WHO(世界保健機関)が定義する「ウェルビーイング(Well-being)」の概念があります。
それは、身体的・精神的・社会的側面を含めた、総合的な健康と幸福のバランスがとれた状態を意味しています。

心だけの健康、身体だけの健康ではなく、
その人を取り巻くあらゆる側面が調和に向かうように——。
私たちは自然療法や補完代替療法といった予防医学的アプローチを軸に、日々のケアや学びを実践しています。

たとえ病気を完全に防ぐことはできなくても、あるいはすでに疾患を抱えていたとしても、
「自然治癒力」や「五感」といった人間に本来備わっている力を見つめ直し、丁寧に育んでいくことで、
感情のあり方や意識のとらえ方、思考や行動の方向性は、より自分らしく、より健やかなものへと変わっていきます。

自然治癒力も、感情も、五感も、目に見える形では存在しません。
けれども、私たちは「心地よさ」「安心感」「優しさ」といった感覚が、確かに内側に“在る”ことを感じることができます。
こうした感覚は、量子物理学の分野では「素粒子の振動」としてその存在が科学的に捉えられ始めています。

目には見えなくても、私たち自身の力を信じて、細胞レベルで生命力を少しずつ高めていくこと。
それは、心や身体だけでなく、空間や人間関係など、自分をとりまく全体に穏やかな調和をもたらす行いでもあります。
もはやそれは“非科学的な願い”ではなく、今を生きる私たちが選び取ることのできる、確かな選択肢です。

高度なテクノロジーを享受できる現代社会だからこそ、私たちは「人間らしくあること」を忘れてはならないと思います。
目に見えない小さな感覚、ささやかな営みを丁寧に大切にすること。
それはやがて、自分自身の幸福や健康を育み、他者を思いやる心を育て、
争いの少ない、調和と平和のある社会づくりへとつながっていくのではないでしょうか。

エスティア・リラでは、地域のクリニックとの連携のもと、
各種セラピーの施術、アロマテラピーやチャクラの講座・レッスン、オリジナル商品の企画開発、
お花のお茶会の開催など、さまざまな活動を行っております。

一人ひとりが自分の力を信じて心身の声に耳を澄まし、
あたたかい調和のなかで、支え合いながら生きていけるような社会の実現を願い、今後も活動を続けてまいります。

どうぞよろしくお願いいたします

Kaoru Nakamuta

家庭生活や子ども達を守る、ギリシャ神話の女神ヘスティア(Hestia)。

うす紫や白の美しく甘い香りの花を咲かせ、謙虚さ、誇り、純真さなどの花言葉をもつライラック(Lilac)。

フランス語ではHestia(エスティア)Lilas(リラ)と発音されます。​​

子供達が幸せな空間の中で、自由な心で精神と身体を成長させ、人生において直面していく課題を克服しながら生きていける地域社会であるように。​​人、自然、生命体、目に見えない存在全てを含めて調和した、家庭や社会、美しい自然環境の存続をイメージし、その実現への祈りを「Hestia Lilas」に込めています。

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【Hestia  Lilasに込めた想い】

【娘に伝えたいことば】

 

♦アラン 

・楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。

(悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである。) 

♦不明 

・優しさとは性格の問題ではなく、知性の問題である。

・綺麗な心でいるかいないかは、自分で選べる。

・自分の心の葛藤以外に敵はない。

♦ヴィクトール・エミール・フランクル

・虚栄と誇りは違う。虚栄を満たすには他者を必要とするが、誇りは他者を必要としない。

・人生に何かを期待するのは間違っている。人生があなたに期待しているのだ。

♦園田天光光 

・ここで何をしたいのか、何のためにここにいるのか、目標を定め、真心でそこへ向かうこと。男も女もなく、仕事も人生も、命に感謝して積極的に生きよ。

♦アルベルト・アインシュタイン 

・教育の目的は、「社会が直面する最重要課題の解決」に力を尽くすために、自ら考え行動できる人間を育てることでなければならない。

・疑いもせずに「権力」を重んじることは、真実を最も遠ざける行為だ。

♦柳澤恵子 

・人はなぜ苦しむのでしょう。ほんとうは野の花のように私たちも生きられるのです。

♦タゴール 

・危険から守られることを祈るのではなく、恐れることなく立ち向かえるような人間になれますように。

♦吉野源三郎 

・人類の進歩に結びつかない英雄的精神も虚しいが英雄的気迫を欠いた善良さも同様に虚しい事が多いのだ。

♦孔子

・人生は単純なものなのに、我々が複雑にしようとしているのです。

♦ピーターシンガー

・自分にできる「いちばんのたくさんのいいこと」をせよ。

♦フリードリヒ・ニーチェ 

・事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

・意味さえあれば、人間はおよそどのような苦しみにも耐えられる。

医師推薦文

​医師推薦文

​リウトピアクリニック院長   比嘉 邦雄

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私達は自らの身体に備わった五感の機能を働かせて生きています。

​視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

視て、聴いて、嗅いで、味わい、触れて日々を過ごすのです。

嗅覚で言えば、私達は無数の匂いの中で暮らし、香りによって気持ちが落ち着いたり

幸福感に満たされたり

​或いは不安や不快を感じたり、食欲さえも左右されます。

「食べ物の匂いに敏感な人はボケない」といわれます。

嗅覚と脳は直結していて嗅覚を訓練すれば​脳が活性化する、という研究結果も発表されています。

​​

一方、「香害」による健康被害も深刻です。化粧品や洗剤などの一部の製品に含まれる人工的な合成香料の人体への影響によって、不登校や失業、化学物質過敏症などの症状が出現している可能性が高いとされています。

​​​

紀元前1世紀に頃に創られたガラスの香油瓶が地中海で発見され、人類と香りの間に長い歴史があることも明らかになっています。

太古の人々は、身体の不調、不快の改善、痛みの治療に香りを活用していたのです。

 

このように人々の心と身体の健康に大きく影響する「香り」はアロマ(芳香)によるテラピー(治療)という代替療法として現在まで引き継がれています。

日本の医療機関ではアロマテラピーは保険適用外となってしまいますが、フランスなどの一部のヨーロッパの国の医療機関では、痛みやリウマチをはじめとした様々な心身の不調に対し、アロマテラピーが応用されています。

そしてリウマチ、筋肉痛、腰痛、心の不調などの緩和、改善は当院の診療分野として目指すものでもあるのです。

香りによる癒しのトポス(場所)として看護師によるメディカルアロマサロン「エスティア・リラ」が開設されました。

 

お越しいただいた方々の、心身がくつろぎ、明日からの活力を得られる場所となることを心より願っています。​​​

 

比嘉 邦雄​

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比嘉由子ギャラリー

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~絵を描く喜びに支えられて~

比嘉 由子について
~yoshiko higa ~

鳥取県、法勝寺の長田神社の神主の家に生まれる。

​看護師として従事する中、26歳頃、慢性関節リウマチを発症。

全身の様々な部位へ人工関節置換術を受けるが、病状と障害が進行し38歳頃には自力歩行が困難となる。

 

自然が持つ力の大きさ、神秘さの中に生きることへの希望を見いだし、約200点の植物画や葉書の制作を続け、療養所を併設したクリニックの企画、構想、設立のため活動する。

 

1999年、比嘉邦雄と共に静岡県函南町の地に「リウトピアクリニック」を開院。

 

同じ病に苦しむ人達や多くの人たちとの交流、あたたかい想いに支えられ、58歳までの人生を生きる。

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1996年11月リウマチ友の会機関誌「流」より

 

 

今からもう十数年前、その頃私は30代の半ばでした。

急速に進行していくリウマチとの闘いに心身共に疲れ果て、家族を東京に残し、中伊豆の病院へ入院して幾日か経った頃、古い友人が見舞って一冊の本を置いて帰りました。

 

病院の早い夕食をすませ、その本の表紙をめくった時、私は強い衝撃を受けました。

それは事故で手足の自由を失い、筆を口にくわえて絵を描く人の詩画集でした。

 

外見は明るく装いながらも自分の人生に絶望し心の中は涙でいっぱいだったその頃の私は、「たとえいかなる状況の中でも喜びを見いだす生き方がある」ことを教えられ、その夜、私は心の中の何かを洗い流すかのように、一人病室で号泣していました。

 

数ヶ月で退院したある日、ベランダに一輪咲いたバラを眺めながら、ふと、古いスケッチブックをとりだし、色鉛筆で描いてみたのです。それが私の種々の執着を捨てさせてくれる第一歩でした。

素直な楽しみをそこに発見できて、私は少しづつ変わっていきました。

 

伊豆へ引っ越して、春一番にブルーの星をちりばめたように咲くオオイヌフグリや、初夏のホタルブクロ、秋のミズヒキ、名前も知らない花々との出会いは感動の連続でした。

 

東京にいた頃どこか違うと感じたプランターの中のコスモス。

秋が来るたびに土手や空き地の何気ない所に咲いているコスモスを見かける時、私の求めていた風景に出会った喜びがありました。

木漏れ日の中に咲くリンドウを見つけた時、気づくと足元に健気に咲いている花々が私の生を応援してくれているように感じるのです。

 

車椅子での散歩も限界となり手術を決意し、心停止という死の淵から生還した時、枕元の花や、折しも外は桜が満開という言葉は私を勇気づけてくれました。

 

それから1年間の入院生活の中でも、絵を描く楽しみと喜びが私の生きる力となっていました。

その2年後には、絵を描きたいために右肘も人工関節に換えました。

 

1枚の小さな絵を描くたびに痛みは増し、指の変形は進んでいくのですが、私は描くことを選んでしまいます。

ふと「夕鶴」のつうの物語が脳裏をよぎり、失うものと得るもの、生と死のまるで綱渡りさながら、これからも許される限り描き続けたい。

 

一つの花の神秘的ともいえる美しさの前でたじろぎながらも花を届けてくれる友人や家族への感謝をこめて。

花と向かい合っているその時は、痛みも忘れすべてから解放される” 神様が与えてくれた時間”なのです。

 

そして今、一つの楽しみは、療友たちが気楽に集える心安らぐ空間を造りたいという夢が少しづつ具体化していることです。

 

その時はさりげなく花の絵を壁に掛けよう。道端の草花のように自己主張もせずにひっそりと。

 

しかし、確実に命を讃えてそこに在るように。

 

比嘉 由子

関節の痛みと変形のために身体を動かす自由を失った時に

花がとても身近なものになり、じっとみつめていると

私に描くように語りかけてくるようでした。

 

描くことに集中し、その間すべてを忘れられることは

たとえその後に痛みが増したとしても

それ以上のものを私に与えてくれました。

 

痛みや不自由の苦しみから逃れようとするのではなく、受け入れ、

立ち向かわせてくれる生き方へ変えてくれるものとなったのです。

 

家族の支えと友人の励ましと協力を得て、少しずつ描きためた

ものの中から、ささやかですが私にとっては

夢のような絵葉書ができあがりました。

 

この1枚、1枚が見知らぬ人たちの心に連れられて

旅をすることができればどんなに幸せなことでしょう。

 

生けとしいけるもの

小さな草花たちへの愛を込めて…。

 

比嘉 由子

リウトピアクリニック内にて「比嘉由子ギャラリー」を展示しております。

痛みと身体の不自由さを抱えながら描きためた花々への想いが

みなさまの心身の癒しと力になる事を願って。

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